トーマス・エジソン。
蓄音機をはじめとする多数の発明で知られ、「発明王」の異名をもつ生粋のイノベーターだ。
1847年2月11日にアメリカで生まれ、84歳でその生涯に幕を下ろすまで、いくつもの発明を生み出し、商品として普及させてきた。
稀代のイノベーターであった彼の人生について見てみよう。
好奇心に突き動かされた少年時代
「天才」「偉人」と呼ばれる人物は、概して幼少期から特異なエピソードをもっているものだ。
エジソンも多分に漏れず、そんな一人である。
幼い頃から好奇心旺盛だった彼は、自分の中で浮かんでくる純粋な疑問を抑えられなかった。
「1+1=2」という、疑いようもないような「常識」に対してでも、自分の納得いくまで教師に質問を投げかけた。
結果、「教師を困らせる問題児」として厄介者扱いされ、小学校はわずか数ヶ月で退学することとなった。
小学校を中退した彼に教育を施したのは、母親だった。
彼が抱いた疑問を、母親は「そんなの常識でしょ」で済ませることはなかった。
彼と一緒に百科事典を開いて納得いくまで物事を調べ、ディスカッションを続けてくれたのだ。
母親との学習を通じ、彼は自らの知的好奇心に応えるだけの知識と思考力を深めていった。
また、かの生物学者ダーウィンが発表した「進化論」も、少年期のエジソンの知的好奇心に拍車をかけた。
「常に変化に対応できる生物こそ、最も長く生き残る生物だ」という進化論の主張は、「新しいものを発明し続ける」というエジソンの人生を方向づける1つの指針になったという。
無学と難聴
では、生まれながらに授かった好奇心だけが、エジソンを発明王たらしめる要素だったのだろうか。
この答えは、おそらくNOだ。
発明王エジソンの根底には、「逆境を好機に転換する発想の柔軟さ」があったように思う。
それを象徴するインタビューが2つ残っているので、紹介しよう。
Q:「あなたは一体どうして、史上最高の発明家になれたのですか?」
A:「それは、私が学校に行ってないからだね」
Q:「あなたは何故蓄音機を発明できたのですか?」
A:「私の耳が悪かったからだ」
両方とも一見不可解な回答だが、冗談や皮肉ではない。
1つ目の質問について、エジソンは、自分自身に学識がないことをコンプレックスに感じていた。
そして、自分が「常識」を持ち合わせていないことを自覚していた。
だからこそ、疑問に感じたことは何でも理屈抜きに試し続けた。
次々に新しい発明品を生み出せたのは、「常識」に縛られず、納得できる成果が得られるまで実験し続けたからなのだ。
2つ目の質問について、彼は後天的な理由で難聴を患っていた。
だからこそ、音を聞くこと・音が聞こえる仕組みを再現することに対して、人並み以上の熱意をもっていた。
この熱意が、音を記録・再生する蓄音機発明の原動力となったのだ。
逆境はイノベーションの源泉
エジソンは、コンプレックスやハンディキャップなど、一般的には逆境と捉えられる状況を「チャンス」と解釈してイノベーションを生み出した。
「純粋な知的好奇心に基づく質問が原因で退学させられてしまい、学校教育を受けられなかった」
「難聴を患い、研究活動のみならず日常生活においても不便を強いられた」
-これらはいずれも、「だから、成功できなかった」となりそうなネガティブな要因だ。
だが、エジソンは「だから、成功できた」に転換してしまっている。
自身の立ち上げたラボが火災で全焼した際には「おかげでガラクタがすっかり片付いた。これでまた新たな気持ちで研究に没頭できるぞ」と語ったエピソードまでもが残っている。
このときエジソンはすでに67歳。逆境をイノベーションの源泉にした、彼の生き様を象徴するような逸話だ。
著作者:Andrew Balet CC 表示-継承 2.5
我々現代の研究者も、日々の研究が順風満帆にいかなくとも、その状況をプラスに転じられないかと発想を変えてみるとよいのかもしれない。
エジソンは、発想のイノベーションによって、技術のイノベーションを生み出したのだから。
“Just because something doesn’t do what you planned it to do doesn’t mean it’s useless.”
(何かが君の考えたとおりに運ばなかったからといって、それが役立たずだという意味にはならない)
エジソンが残した名言は、我々現代の研究者、ひいては現代を生きるすべての人々にとって、大きなヒントを与えてくれる。
熱心すぎるのも考え物?
そんなエジソンを見習ううえで、一点注意したいポイントがある。
彼は四六時中研究に打ち込んでおり、短時間の仮眠を細切れにとる以外は、ほとんどの時間を研究に費やしていた。
自身の立ち上げたラボの従業員にも自分同様のペースで稼働することを求めたが、常人にはそんな働き方は真似できない。
仮眠時間を寝過ごす従業員への対策としてエジソンは、とある発明品を生み出した。
その名も「死体復活マシーン」。
爆竹を鳴らし、その爆発音で従業員をたたき起こすというものだ。
ネーミングセンスも相まって、現代で真似するのは決しておすすめできない。
[参考文献]
天才エジソンの秘密 母が教えた7つのルール | 幸田 ヘンリー