COLUMN

Vol.07
アルベルト・アインシュタイン/ 理論物理学者

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アインシュタインという男

 

2023年で発刊100年を迎えたアメリカの老舗ニュース雑誌「TIME」誌は、1999年の発売号にて、20世紀における最も影響力のある100人を特集したことがある。

このとき「パーソン・オブ・ザ・センチュリー(今世紀の人物)」として並みいる偉人たちを差し置いて選出された男こそ、今回紹介するアルベルト=アインシュタインである。

1921年にノーベル物理学賞を受けるなど物理学者としての名誉にとどまらず、人類史全体で見ても類まれな実績を残してきたことは皆さんもご存知だろう。

しかし、実はその人生は決して順風満帆ではなく、むしろ波乱に満ちたものであった。

 

今回は、そんな波乱に満ちた彼の人生を見ていこう。

 

 

「天才」アインシュタインの生い立ち

 

アインシュタインは、エジソンが電球を発明した1879年にドイツ南西部で誕生した。


幼少期には非常に内向的で、5歳になるまでほとんど話さなかったという。言葉を使うのが遅かったことに加え、学校の学びに関心を示さなかったため、しばしば教員との衝突があり、学校からの評価も決して高くなかった。


しかし、この沈黙は、彼が言葉の意味を深く理解し、自らの考えをしっかりと形成するまで待っていた結果であるとも解釈されている。


アインシュタイン自身が後に述べたように、「言葉による思考の遅れが、物事を視覚的に想像する能力を養った」という。このユニークな思考方法は、彼の科学的直感力と創造性の土台となったのであった。

 

科学に対する興味は、父からもらった方位磁石に魅了されてから始まった。この興味が彼を駆り立て、数学、天文学、物理学で類まれな才能を発揮し、9歳で「ピタゴラスの定理」を自力で導き出すという驚くべき成果を達成した。また、この時期に始めたヴァイオリン演奏は、生涯を通じて彼の趣味となった。

 

青年期に差し掛かっても、内向的な性格は相変わらずで、人間関係の構築に苦戦していた。ドイツの中等教育機関にあたる「ギムナジウム」に通うも馴染めずに中途退学をしたアインシュタインだが、幼少期より磨き続けた数学と物理の才能が見いだされ、一度は不合格だったチューリッヒ連邦工科大学への入学が認められた。その後、教員採用試験に合格するも、当時の学部長との関係が芳しくなく、アインシュタインは特許庁へ就職することとなった。

 

この選択が彼の人生を大きく左右することになるとは、当時彼を含め誰も知る由はなかったのであった。

 

 

無名の特許局員から歴史に名を残す人物へ

 

 

1901年にスイス国籍を取得したアインシュタインは、翌年よりスイスにある特許庁で「技術的専門家3級」として勤務をはじめた。

 

特許庁では自由な思考時間が潤沢にあり、物理学をはじめとする各種学問についての興味を深める時間を持つことができた。また、翌03年には、工科大学時代の知り合いであるミレヴァ=マリッチと結婚をしている。このような時間が、のちに「奇跡の年」と呼ばれる1905年を生み出すことになったのであろう。

 

広く知られる逸話の一つとして、当時居住したアパートの壁が完全な平面でないことを気にするようになったというものがある。

壁には「ゆがみ」や「ひずみ」が存在するにも関わらず、それでも家を支えるうえでは問題がないということについて、彼は何度も何度も思考を巡らしたと言われており、この考えがのちに一般相対性理論を生み出す元となったとされている。

 

 

そして、奇跡の年と呼ばれる1905年、アインシュタインは、「光電効果」や「ブラウン運動の説明」など、科学史に残る重大な発表を次々と行った。

その中でも、630日に発表された「特殊相対性理論」の発表は、世の中の常識を大きく覆すパラダイムシフトであった。

この理論の発表により、それまで絶対的な存在として扱われていた時間と空間が、運動状態によって変化する相対的なものへと修正されたのである。

 

1909年に特許局員を辞したアインシュタインは、助教授を経て大学教授へ転職し、1916年には「一般相対性理論」を発表。

非常に難解な理論であったがために、発表後すぐには周囲の理解を得られなかったものの、1919年にイギリスの天文学者アーサー=エディントンが皆既日食において、太陽の重力場で光が曲げられることを観測したことをきっかけに、アインシュタインは一躍脚光を浴びることとなった。

 

そして1921年には、「光電効果の発見」を理由に、ついにノーベル物理学賞を受賞。

こうして「無名の特許局員」は、歴史に名を残す人物へと相成ったのであった。

 

 

自身が発表した「相対性理論」の意味を尋ねられた際、「熱いストーブの上に1分間手を当ててみて下さい、まるで1時間くらいに感じられる。では可愛い女の子と一緒に1時間座っているとどうだろう。まるで1分間ぐらいにしか感じられない。それが相対性です。」と、ユーモアを交えて答えたと言われている。

 

 

あの舌出し写真の裏側

 

 

最後に、アインシュタインにまつわる有名なエピソードを紹介しよう。

アインシュタインといえば、舌を出している写真があまりにも有名であり、歴史に詳しくなくともその写真は見たことがあるという人も多いだろう。

 

実はあの写真の背景には、アインシュタインの性格が深く関わっていると言われている。

 

幼少期に内向的な性格だったのは前述の通りであるが、おとなしいところは大人になっても変わらず、人前でもほとんど笑顔を見せなかったとされている。

 

そんな中迎えた72歳の誕生日パーティーの日。アインシュタインはメディア陣に囲まれ、INS通信社カメラマンだったアーサー・サスの「笑ってください」というリクエストに対し、危うく応えそうになってしまう。恥ずかしくなった彼は咄嗟にそれを隠そうとし、取った行動があの舌出しだったとされている。

 

写真が実際に記事に掲載されると、アインシュタイン本人が焼き増しのリクエストをするほどに彼はその写真を気に入り、写真を切り抜いて知人に送るようなことまでしていたそうだ。

 

彼の人生は実に波乱万丈なものではあったが、結果的にはその紆余曲折のキャリアと驚異的な才能、そして潤沢な思考時間が類まれなるイノベーションをいくつも生み出すこととなった。

この写真も、生真面目な性格とひとさじのユーモアが生んだ、非常に貴重な写真といえるだろう。

 

 

 

【参考文献】

西原、安生(2014)「アインシュタインとヴァイオリン―音楽のなかの科学」、ヤマハミュージックメディア

ピーター=ファータド(2013)「世界の歴史を変えた日1001」、ゆまに書房

Forbes Japan「有名な「舌出し写真」はどうやって撮影された?アインシュタイン記念日|630日」

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